人物年表

大久保利通
日本史年表  
西暦
年号
月日 年齢 出来事
1830




1831
1832
1833
1834
1835
1836
1837
1838
1839
文政




天保
天保
天保
天保
天保
天保
天保
天保
天保
13




元-2
3
4
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6
7
8
9
10
9月26日













0歳




1歳
2歳
3歳
4歳
5歳
6歳
7歳
8歳
9歳
・薩摩国鹿児島城下高麗町(現・鹿児島県鹿児島市高麗町)に琉球館附役の薩摩藩士
 大久保利世と皆吉鳳徳のニ女・福の長男として生まれる
 幼名は正袈裟(しょうけさ)、大久保家の家格は御小姓与と呼ばれる身分で下級藩士
 幼少期に加治屋町(下加治屋町方限)に移住、下加治屋町の郷中や藩校造士館で、
 西郷隆盛や税所篤、吉井友実、海江田信義らと共に学問を学び親友・同志となる









1840
1841
1842
1843
1844
1845
1846
1847
1848
1849
天保
天保
天保
天保
弘化
弘化
弘化
弘化
嘉永
嘉永
11
12
13
14

2
3
4

2










10歳
11歳
12歳
13歳
14歳
15歳
16歳
17歳
18歳
19歳




・元服し、通称を正助(しょうすけ)、諱は利済と名乗るが後に改名

・藩の記録所書役助として出仕



1850

1851
1852
1853
1854
1855
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1857
1858
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嘉永

嘉永
嘉永
嘉永
嘉永
安政
安政
安政
安政
安政
3

4
5
6
7
元-2
3
4
5
6


2月2日

5月



10月1日


20歳

21歳
22歳
23歳
24歳
25歳
26歳
27歳
28歳
29歳
・お由羅騒動で父・利世とともに連座して罷免され謹慎処分となる
 以後、大久保家は貧しい生活を強いられ、この時の借金依頼の手紙や証文が現在残る
島津斉興が隠居し島津斉彬が薩摩藩主となる

・謹慎を解かれ記録所に復職し御蔵役となる



西郷隆盛とともに徒目付となる
・斉彬の死後、失脚した西郷に代わり新藩主・島津茂久の実父・忠教(後の久光)に税所篤の助力で接近する

1860
1861

1862


1863
1864
1865
1866
1867













1868
1869
万延
文久

文久


文久
元治
慶応
慶応
慶応













明治
明治



2


3


2
3














2
3月11日
10月23日



5月20日
2月10日








8月14日
9月8日


10月14日




1月23日
8月29日
30歳
31歳

32歳


33歳
34歳
35歳
36歳
37歳













38歳
39歳
・重富邸にて忠教(後の久光)と初めて面会し、閏3月、勘定方小頭格となる
・御小納戸役に抜擢され藩政に参与、家格も一代新番となる
・久光から一蔵(いちぞう)の名を賜り通称を改める
・久光を擁立して京都の政局に関わり、公家の岩倉具視らとともに公武合体路線を指向
 一橋慶喜の将軍後見職、福井藩主・松平慶永の政事総裁職就任などを進めた
 御小納戸頭取に昇進、昇進により小松清廉、中山中左衛門と並んで久光側近となる
・御側役(御小納戸頭取兼務)に昇進する

・「利通」と改諱
・第二次長州征討に反対し、薩摩藩の出兵拒否
・雄藩会議の開催を小松や西郷と計画し、四侯会議を開催
 四侯会議が慶喜によって頓挫させられたため、公武合体路線を改め武力倒幕路線を指向する
 小松、西郷とともに公議政体派である土佐藩の後藤象二郎、寺村道成、真辺正心(栄三郎)、
 福岡孝弟、浪人の坂本龍馬、中岡慎太郎との間で将軍職の廃止、新政府の樹立等に関する
 薩土盟約を三本木の料亭にて結ぶも、思惑の違いから短期間で破棄
 武力による新政府樹立を目指す大久保・西郷・小松らは長州藩の柏村数馬に武力政変計画を打ち明ける
 京都において薩摩藩の大久保・西郷と長州藩の広沢真臣・品川弥二郎、広島藩の辻維岳が会し
 出兵協定である三藩盟約を結んだ
 三藩盟約書草案は大久保の自筆によって書かれたもので、現存している
 正親町三条実愛から倒幕の密勅の詔書を引き出した(ただしこの密勅には偽造説もある)
 大久保は、小松・西郷らと詔書の請書に署名し、倒幕実行の直前まで持ち込むことに成功した
 しかし、翌日に土佐藩の建白を受けていた将軍・徳川慶喜が大政奉還を果たしたため、
 岩倉ら倒幕派公家とともに、王政復古のクーデターを計画して実行する
 王政復古の後、参与に任命され、小御所会議にて慶喜の辞官納地を主張
・太政官にて大阪への遷都を主張
・参議に就任、版籍奉還、廃藩置県などの明治政府の中央集権体制確立を行う
1870
1871
1872
1873


1874



1875
1876
1877

1878


明治
明治
明治
明治


明治



明治
明治
明治

明治


3
4
5
6


7



8
9
10

11








2月
9月14日
10月31日

5月



5月14日


40歳
41歳
42歳
43歳


44歳



45歳
46歳
47歳





・大蔵卿に就任、岩倉使節団の副使として外遊

・征韓論論争で西郷隆盛や板垣退助ら征韓派と対立し、明治六年政変にて西郷らを失脚させた
 内務省を設置、自ら初代内務卿(参議兼任)として実権を握り、学制や地租改正、徴兵令などを実施
 「富国強兵」をスローガンとして、殖産興業政策を推進
・佐賀の乱が勃発すると、ただちに自ら鎮台兵を率いて遠征、瓦解させる
 台湾出兵が行われると戦後処理のために全権弁理大臣としてに清に渡る
 清が台湾出兵を義挙と認め、50万両の償金を支払うことを定めた
 日清両国間互換条款・互換憑単に調印
・太政大臣の三条実美に海運政策樹立に関する意見書を提出

・西南戦争で京都にて政府軍を指揮
・第1回内国勧業博覧会を開催
・石川県士族の島田一郎、長連豪、杉本乙菊、杉村文一、脇田巧一および
 島根県士族・浅井寿篤により紀尾井坂(東京都千代田区紀尾井町)にて殺害された(紀尾井坂の変)
 享年49〈数え年〉、満47歳没、墓所は東京都港区の青山霊園にある


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