右前のスカイツリーと眼下の墨田川。そして、薄布団の上。
「俺はなんでここに?」
ここで起きた初日の感想だ。
左半身に強烈な朝日を浴び、昨日もヘベレケだったはずの
自分が、その後、強烈な記憶として残るほどの、
尋常ではない爽快な寝覚めだ。クレッシェンドで起きた。
後にも先にも「寝覚め」を哀惜しているのはここしかない。
「宇宙とミニマムは、実はつながっている。」
それは、実は最大は最小とリンクしているということだ。
これは今はまだ皮膚感覚だが、恐らく真理であり、
どうやら私はこれを証明するために生まれてきた
ようなのだ。
これは、コペルニクス以来のパラダイムシフトにて。
神は死んだ。それからして、我々もまた死んだ。
だが、まだまだ僕たちは生きている……。
ここからは長編になりそうなので、皆、心して読んで。
俺は下町というか、東京の場末生まれのトッポイ奴かな。
家庭環境は、今考えるとかなり複雑かもな。
むしろ内面的な複雑さなので、
外からはよく見えなかったかもしらん。
2歳ぐらいからの記憶が鮮明にあり、オヤジに抱かれて
乗った都バスで激しく動揺し、その後、オヤジに浅草で
エビフライを食わせてもらったが、すべてリバースした。
バスの工程や、テーブルのエビフライとタルタルまで、
すべて鮮明に覚えている。
店の若い人は俺のリバースを優しく拭き取ってくれた。
2歳にしては結構ぶちまけたけどな。
水分が多く、またたくまにテーブルの3/2ぐらいになった。
拭き取った彼は黒の蝶ネクタイをし、目が細く、
ポマードか何かでシチサンのオールバックだった。
その前後のことはそれ以上は覚えていない。
その後、俺は保育園に入れられ、生涯の友と出会い、
かなり有意義な時間を過ごして育った。
しばらくすると、自動的に小学校に上がったが、
幸いなことに友とは同じクラスだった。
3年生になった時、大学を出たばかりの新卒の教師が
俺たちの担任になった。
1年生の時は厳格なオバサン先生だったので、
入口は良かったのであろう。
俺はなぜか、かなり大きくなるまで、
オバサン先生と年賀状のやり取りをしていた。
住所入りのあのやや長方形の朱色のハンコは
今でもすぐ思い出す。
2年生の時は定年間近のジイサンの学級で、
よくわからない時間だった。友はジイサンを
「ポリグリップ」と名付けた。
途中で担任を外れたのか、校庭の整備人に
なったのを覚えている。
当然、その後が3年生。
初見はあまり思い出せないが、悪い印象は
なかったものの、お世辞にも二枚目とは
いえない風貌、体形であった。
彼こそ、新卒教師だ。
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