人物年表  スティーブ・ジョブズ
 
日本史年表 / エリア情報  

西暦
月日 満年齢 出来事
1955

1956
1957
1958
1959
1960
1961
1962
1963
1964
2月24日










0歳

1歳
2歳
3歳
4歳
5歳
6歳
7歳
8歳
9歳
・カリフォルニア州サンフランシスコに生まれる
・父・アブドゥルファター・ジャンダリ、母・ジョアン・シーブル、生後すぐに養子に出される









1965
1966
1967
1968
1969
1970
1971

1972
1973
1974











2月

10歳
11歳
12歳
13歳
14歳
15歳
16歳

17歳
18歳
19歳




・あこがれのヒューレット・パッカード(HP)社のビル・ヒューレットの自宅に電話をかける

・日本を訪問、大阪開催の日本万国博覧会で日本電信電話公社が発表したワイヤレスホンに興味を示す
・HP社の夏季インターンシップで働いたときにスティーブ・ウォズニアックと出会う
・無料の長距離電話装置を開発し1台100ドルから150ドルで売りさばく
・リード大学入学、同年退学「両親が一生をかけて貯めた学費を意味のない教育に使うのに罪悪感を感じた」
・中退後もキャンパスを放浪しコーラの空き瓶拾いや電子装置修理で日銭を稼ぎながらもぐりの学生として過ごす
・アタリ社のトップ、ノーラン・ブッシュネルに直談判し下級エンジニアとして働くことになる
・インドへ渡るが赤痢にかかり、インドの実態にも失望する(アタリ社も一度退職する)
1975
1976
1977

1978
1979
1980
1981
1982
1983
1984


6月
1月3日
6月5日






1月

20歳
21歳
22歳

23歳
24歳
25歳
26歳
27歳
28歳
29歳

・アタリ社に復職、新製品「ブレイクアウト」の改造をウォズニアックに頼み変更を完成させる
・スティーブ・ウォズニアックと共にホームコンピュータ「AppleT」を販売開始
・ジョブズ、ウォズ、マイク・マークラの3人でアップルコンピュータを法人化
・「AppleU」を発売、爆発的な人気を呼ぶ
・Lisaプロジェクトが立ち上げられる
・ジェフ・ラスキンらがMacintoshプロジェクトを開始
・株式公開時に2億ドルの巨額を手中にし、フォーブスの長者番付に名を連ねる
・Lisaプロジェクトのメンバーから外されたジョブズがMacintoshプロジェクトへの参画を宣言
・タイムの表紙を飾る
・ジョン・スカリーがアップル社の社長に就任
・「Macintosh」を発売
・Macintoshの需要予測を大幅に誤り過剰在庫を抱え初の赤字計上となる
1985

1986

1987
1988
1989
1990
1991
1992
1993
1994
5月24日
9月12日
2月7日







2月10日

30歳

31歳

32歳
33歳
34歳
35歳
36歳
37歳
38歳
39歳
・アップル社から追放される、NeXTを設立
・スカリー宛に辞表を送付、アップル社の株・約650万株をすべて売却する
・ピクサー・アニメーション・スタジオを設立
・養母クララが亡くなり生母と再会、この時に妹・モナ・シンプソンの存在を知り初対面を果たす
・GMで成功していたロス・ペローから2000万ドルの出資を受ける

・NeXTcubeを発売、キヤノンから1億ドルの出資を受ける


・NEXTSTEPのPCバージョンを発表
・全社員530人のうち280人をレイオフ、ハードウェア部門をキヤノンに売却

1995
1996
1997

1998
1999
2000
2001

2002
2003
2004


7月









40歳
41歳
42歳

43歳
44歳
45歳
46歳

47歳
48歳
49歳

・業績不振のアップル社にNeXTを売却すると同時に復帰
・アップルCEOのギル・アメリオが退社
・暫定CEOとなる(基本給・年1ドル)、マイクロソフトとの提携と同社からの1億5000万ドルの支援を得る
・iMacを発売

・正式にCEOに就任
・2003年にかけてNeXTの技術を基盤としたMacOS Xへと切り替える
・iTunes、iPodを発売

・膵臓癌と診断される

2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011



1月9日
6月9日
1月14日
11月
8月24日
10月5日
50歳
51歳
52歳
53歳
54歳
55歳
56歳

・スタンフォード大学の卒業式でスピーチ「Stay hungry, stay foolish」
・ディズニーの個人筆頭株主となり役員に就任するが役員報酬は辞退する
・iPhoneを発表
・iPhone(3G)を発表
・CEOを休職
・体調が悪化
・CEOを辞任、後任はティム・クック
・パロアルトの自宅で死去
ペプシコーラの事業担当社長ジョン・スカリーを口説いた言葉(1981年)

 「このまま一生砂糖水を売りつづけたいか?それとも世界を変えたいか?」
 
 
 


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