人物年表  坂本龍馬
 
日本史年表 / エリア情報  

西暦
年号
月日 満年齢 出来事
1836
1837
1838
1839
1840
1841
1842
1843
1844
1845
天保
天保
天保
天保
天保
天保
天保
天保
弘化
弘化
7
8
9
10
11
12
13
14

2
1月3日









0歳
1歳
2歳
3歳
4歳
5歳
6歳
7歳
8歳
9歳
・土佐国で父・八平、母・幸の次男として生まれる









1846
1847
1848
1849
1850
1851
1852
1853





1854



1855

弘化
弘化
嘉永
嘉永
嘉永
嘉永
嘉永
嘉永





嘉永



安政

3
4

2
3
4
5
6





7



元-2











4月
6月3日
12月
4月


6月23日
12月4日

10歳
11歳
12歳
13歳
14歳
15歳
16歳
17歳





18歳



19歳

・母・幸が死去、後妻の伊与に養育される

・日根野弁治の道場に入門し日本武術の小栗流を学ぶ




・小栗流和平法事目録を得る
・江戸自費遊学を土佐藩に願い出て許される
・父・八平から「修業中心得大意」を授けられ溝渕広之丞と土佐を立つ
・江戸に到着し北辰一刀流の桶町千葉道場(現・東京都中央区)の門人となる
・浦賀沖にペリーの黒船来航
・佐久間象山の私塾に入学
・佐久間象山が投獄される
・「小栗流和兵法十二箇条並二十五箇条」を取得
・(絵師・河田小龍から国際情勢について学ぶ)
・土佐に帰国
・父・八平が死去、兄の権平が家督を継承する
・二度目の江戸遊学で土佐藩邸中屋敷に寄宿
1856
1857
1858



1859
1860
1861


1862







1863







1864










1865






安政
安政
安政



安政
万延
文久


文久







文久







元治










慶応






3
4
5



6




2







3



























1月
6月
9月
9月
2月
3月3日
3月
4月

1月
3月24日
4月
5月21日
7月
8月
12月5日
12月9日
2月25日

4月23日



9月
10月
2月
5月
5月14日
7月8日
7月19日
8月5日


10月22日

12月






9月
20歳
21歳
22歳



23歳
24歳
25歳


26歳







27歳







28歳










29歳






・再び江戸小千葉道場で学ぶ
・藩に一年の修行延長を願い出て許される
・師の千葉定吉から「北辰一刀流長刀兵法目録」を授けられる
・日米修好通商条約調印
・大老・井伊直弼による安政の大獄
・土佐に帰国
・土佐藩主・山内豊信(容堂)が家督を養子の山内豊範に譲り隠居する
・桜田門外の変で井伊直弼が暗殺される
・土佐で井口村刃傷事件(永福寺事件)が起こる
・武市半平太らが江戸に上り密かに「土佐勤王党」を結成する
・武市が土佐に戻り192人の同志を募り、龍馬は9番目・国元では筆頭として加盟する
・長州藩を訪れ久坂玄瑞と面会し武市宛の書簡を託される
・脱藩を決意し土佐を抜け出す
・土佐で吉田東洋が暗殺される
・寺田屋事件が起こり薩摩藩尊王攘夷派が粛清される
・大坂に潜伏
・江戸に到着して小千葉道場に寄宿
・幕府政事総裁職の松平春嶽に拝謁
・春嶽の紹介状を受け勝海舟の門人となる
・勝海舟が山内容堂に取り成し、龍馬が脱藩の罪から放免される
・海舟の進める海軍操練所設立のために奔走する
・神戸海軍操練所の設立が許可され、海舟の神戸海軍塾開設も認められる
・山内容堂が土佐勤王党の粛清に乗り出す
・八月十八日の政変
・天誅組の変で多くの土佐脱藩志士が討ち死に
・土佐で武市半平太が投獄される
・神戸海軍塾塾頭に任命される
・帰国延期申請が拒否されると再び脱藩する
・楢崎龍(お龍)と出会う
・海舟が軍艦奉行に昇進し神戸海軍操練所が発足
・池田屋事件で新撰組が尊王攘夷派志士を襲撃
・禁門の変で長州軍が敗れる
・下関戦争、長州が英米仏蘭四か国艦隊に砲撃を受ける
・幕府が長州征伐を開始
・薩摩の西郷隆盛と面会する
・勝海舟が江戸召還を命ぜられる
・勝海舟は龍馬ら塾生の庇護を薩摩藩に託す
・長州では高杉晋作が挙兵して再び尊攘派政権となる
・神戸海軍操練所が廃止となる
・薩摩藩が龍馬らに出資して亀山社中が設立される
・龍馬は大村藩の渡辺昇に薩長同盟の必要性を力説する
・中岡慎太郎らと長州・桂小五郎と薩摩・西郷の会談を画策するが不調に終わる
・この頃、長州は近代的兵器が不足し、薩摩は兵糧米が足りない状況にあったが、
・それぞれの不足物資を交換する流通を亀山社中が担当する策を龍馬が提案し実現する
・長州再征の勅命には薩摩は従わないという書簡を長州藩に届ける
1866







1867












慶応







慶応












2







3












1月8日
1月22日
1月23日
3月10日
6月

7月20日

1月

4月

6月9日

6月22日
10月3日
10月14日
10月15日
10月16日
11月上旬
11月15日
30歳







31歳












・京都にて桂小五郎と西郷隆盛の会談が実現するが話し合いは難航
・桂・西郷を説き伏せ、龍馬が立会人となり薩長同盟の盟約が結ばれる
・龍馬は伏見の寺田屋へ戻るが、伏見奉行の捕縛に遭い負傷するが逃走する
・寺田屋遭難による左手の刀傷の療養のため薩摩に到着、83日間逗留する
・幕府が10万超の大軍を投入して第二次長州征伐が開始
・兵器の装備で勝る長州軍が連戦連勝を重ねる
・幕府軍総司令官の将軍・徳川家茂が心労のあまり病死
・第二次長州征伐が立ち消えとなり幕府軍は撤退を余儀なくされる
・土佐藩の後藤象二郎と会談し脱藩が放免される
・土佐藩の外郭組織となることが決まった亀山社中を「海援隊」と改称する
・いろは丸沈没事件が発生すると万国公法を基に紀州藩に巨額の賠償を認めさせる
・経済状態の苦しかった海援隊は開成館・岩崎弥太郎からたびたび資金支援を受けている
・京都の四侯会議に出席する山内容堂に後藤象二郎が現地に呼ばれる
・龍馬は後藤象二郎と藩船・夕顔丸に同上し後藤に「船中八策」を提示する
・船中八策に基づく王政復古を目標とする薩土盟約が成立する
・容堂の意を受けた後藤象二郎が二条城で大政奉還建白書を提出
・徳川慶喜が明治天皇に大政奉還を上奏
・明治天皇が大政奉還を勅許
・龍馬らが「新官制擬定書」を策定
・「新政府綱領八策」を起草
・京都河原町の近江屋で斬殺される(近江屋事件)
 
 
 


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